ニューヨークにあるグッゲンハイム美術館(http://www.guggenheim.org/)で、今年2010年1月末から6週間開催された展覧会『This Progress』には、いわゆる「作品」は一点も展示されていませんでした。私(福のり子)が体験したこの面白い展覧会を紹介します。
美術館に入ると広場のような空間があり、そこにカップルが寝転んで、なにやらいちゃいちゃしていました。それを横目に、展覧会場に入っていきます。建築家、フランク・ロイド・ライトが設計したグッゲンハイム美術館は、館内が螺旋状になっており、展覧会をみるためにはその螺旋状の回廊を登っていかなければなりません。
その時、10歳位の男の子が話かけてきました。
「展覧会、一緒にみてもいい?」
こちらが驚いているとその子は続けて
「あなたにとって、progressってなに?」
と尋ねてきたのです。この展覧会のタイトル「Progress」は、日本語にすると「進歩」あるいは「進化」という意味です。なにやら仕掛けがありそうで、その男の子を伴って展覧会をみていくことにしました。
10歳の子どもにもわかるような言葉を選び、「Progress」について私の考えを述べながら、ゆっくりと回廊を歩いていきます。
すると、15歳位の女の子が話の輪に入ってきました。気がつくと、先ほどの男の子はいなくなっています。
「ケイティー」と名乗ったその女の子に
「進歩って、一直線で前に進むことって感じがあるけど、そうかしら?」
と、今度は私から質問をしてみます。
しばらく行くと、今度は20代後半の女性が話かけてきました。
「あなたにとってユートピアとはなんですか?」
「う〜〜〜む」と頭をかしげながら、私は
「それぞれの心のなかにはあるかもしれないけれど、現実世界にはないもの」
と答えます。するとすぐに彼女から
「なぜこの世には存在しないの?」
という質問が返ってきました。話はどんどん哲学的になっていきます。
そうこうしているうちに、今度は70歳くらいの男性が話しかけてきました。
「僕は、ドイツから移民してきたユダヤ人です」
と自己紹介した後、自らの人生を語り始めました。
私達は回廊の頂上まで一緒に歩き、そこで立ち止まってしばらく話をして、握手をしてから別れました。気がつくと、回廊を登る間、絵画や彫刻など、いわゆる「作品」は一点も展示されていませんでした。
じつは、話しかけてきた老若男女は全て、この「展覧会」を企画したパフォーマンス・アーティスト、Tino Sehgal によって配置された「作品」の登場人物なのです。さらに言うと、彼らと観客の間で起こる出来事そのものが、この展覧会の「作品」という訳です。ちなみに、入り口でいちゃついているようにみえたカップルも展覧会「作品」の一部で、彼らの動きは振り付けされています。
美術館に来たら絵画や彫刻を見ることができる。そう思っている人ならば、
「こんなのアートじゃない!入場料を返せ!」
と怒るかもしれません。それは、その人達が「アートとは優れた作品のことをいい、美術館とはそうした作品(モノ)を見に行く所だ」と思っているからかもしれません。この展覧会では、あえて美術館から通常の「作品」を取払い、来館者に語りかけ、質問さえしてしまう。しかも、ひとり一人の価値観が露呈してしまう様な質問です。なんという冒険的な試みでしょう!
アート・コミュニケーション研究センターでは、アートとは作品を指すのではなく、作品とそれをみる人の間に起こる、深遠でワンダフルなコミュニケーションだと思っています。その観点に立つならば、この『The Progress 』展で繰り広げられる会話、動揺、ワクワク、思考をめぐらせる事など、その全てがまさしく「アート」なのではないでしょうか。
展覧会タイトル『This Progress』は、私達人間の進化について考えさせてくれます。同時に、その過程で失ってきたものにも思いを馳せさせてくれます。もし、その失ってきたものの一つが人と人との交流であるとするのならば、この展覧会は、コミュニケーション(アートもその一つ)によってそれが取り戻せるかもしれないと、一筋の希望を感じさせてくれているのかもしれません。
様々なリスクを踏まえた上で、この展覧会の開催にこぎつけたアーティストと美術館の志しと情熱は本当にすごいと思いました。
文責:福/板井